フィルターを介さないで見たモノ
さいきん新しい環境に飛び込みました。
ここ二週間で三回ほど通っている霞が関は日本を動かす力が集まっている場所で、
動かそうとする人たちが集まってくる場所でもあります。
先日警備員さんがそこいら中で警備しているので何事かと思ったら、
デモ行進が行われていました。
デモ行進を行っている人たちの半分くらいは車いすに乗っていました。
おそらく障害者自立支援法に関してのものだと思います。
外務省の前では日本人ではなさそうな女の人が、何事かを大声で叫んで訴えていました。
彼女は叫びすぎて擦れた声で訴え続けていましたが、
日本語が達者ではなく、正直何を言っているのか分かりませんでした。
少し暗くなった帰り道、タクシーの中から見えたものは、
どんな映像で見るよりもきれいな朱色の東京タワーと、
デモが終わってひとり車いすをこいで帰っていく人たちでした。
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その日とてもショックだったことは、
それらの光景を見て涙ぐんでいる自分がいることだった。
わけがわからない。
自分にドン引き。
もはや考えるより先に涙が出るような感情にあふれてしまって、
条件反射のようにそういう気持ちになってしまった。
なにかが私の中に刷り込まれてきていて、それがすごくこわい。
去年の夏にタイから帰ってきた直後に行った地元のショッピングモール。
なんて脆いものの上に成り立っているんだろう、とこわくなった。(都市とか建築とか、そういう視点じゃなくて。)
たぶん私たちが気付かないうちに見ないふりしているものはたくさんあって、
平和ボケっていうのはそういうものの上に成り立っているんだと思う。
わたしがイマイチ建築の力を信じられないのも、基礎のもっと下の基盤が緩いと思うからだ。
こういうことを一年前も考えたけれど、結局どうしたらいいか分からず、
一年前に予想した通り忘れつつあるのがこわい。
どうしたらいいのか分からないから、見ないふりをしちゃうんだよね。
独りよがりの文になってしまいました。
色々端折った部分もあるので分かりづらくなってると思います。
見てくれた人はありがとう。
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さてさて、そんなことを考えているひまもない!
来週は超線系設計プロセスの最終提出&プレゼンです。
楽しんでやろ〜!